仏教の基礎知識(大乗仏教編)

大乗仏教になると四諦が三法印になり、八正道が六波羅蜜になります。

三法印(仏教の一番根本の真理)
諸行無常
諸行無常と言うといずれ年をとって死ぬ運命にあることだと一般には思われていますが、じつは全く違います。諸行無常には続きがあります。「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」と涅槃経にあります。「諸々の事象は変わり続ける。これ生滅の法である。生滅を滅し終わったのが悟りの境地であり、心の平安に至る」という意味です。生滅の法というのは例えば、私達が物を見たときに、瞬間的に心に映像が生じます。この映像は瞬間的に生じて、次の瞬間にはもう滅しているのです。このように瞬間瞬間に次々と連続して映像が生じることで目で見た世界が心の中に生じます。これはちょうど映画を見ているのと似ています。映画は何万枚もの映像を連続して見せることで、まるで映像が動いているかのように見せます。このようにして心の中に動く映像の世界が作られることを生滅の法というのです。そして、瞬間的に生滅しているということは固定した実体の世界なんか無いんだということです。「生滅を滅し終わった」というのは固定した実体の世界が無いと気づくことで執着するものが元々無かったと悟り、煩悩が無くなることです。これが悟りであり、真の心の平安です。

諸法無我
釈尊が悟られた究極の真理がこの「諸法無我」です。
解りやすく言うと「私はいない」ということです。
諸法無我について、あらゆるものは相互に依存し合って存在しているから独立して存在する「我」はないといった説明をよく見かけます。確かに相互に依存はしています。しかし、仏教の真理はそのような頭で考えたことではないのです。むしろ、頭で考えた「思いの世界」から抜け出して「ありのままの世界」を実際に体験した中にしか真理はないのです。瞬間瞬間の体験をよく観察すると私に関しては手の感覚があっただけだとか、足の感覚があっただけといったように断片的な体験しか無いはずです。この断片的な感覚を寄せ集めて、頭の中で私がいると妄想しているのです。つまり、真理は私は「思いの世界」にいるだけで実際にはいなくて、ただ体の断片的な感覚があるだけなのです。

涅槃寂静
諸行無常・諸法無我を悟ると執着すべき我は無かったと気づき、我執を離れ、苦を生んでいた煩悩の炎が消え去る。一切の苦から解放された境地。

普通はいろいろな物や生き物や空間があると思っているだろうが、本当に在るのは変化する全体だけです。物と生き物、あるいは物と空間を区別する心がいろいろな物や生き物や空間があるという思い込みを生むのです。人は自分を人間だと思い、まわりの世界から独立した存在だと思い込んでいますが、本当は全体から分離した個人は存在しません。私が存在しないという事は年老いたり、死んだりすることもないという事です。全ては思慮分別が生み出した妄想なのです。このことが解ると苦の原因である無明や煩悩がなくなり、あらゆる苦しみから解放されます。

六波羅蜜
布施 : 財施(金品の喜捨)
    法施(仏法について教える)
    無畏施(労力や慈しみの心で他人につくす事)
持戒 : 在家の場合は五戒を、出家の場合は律に規定された禁戒を守ることを指す。
忍辱 : 耐え忍ぶこと。
精進 : 努力すること。
禅定 : 坐禅などの瞑想をして三昧の境地に至ること。
智慧 : 別名、般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)ともいいます。自己の本性や世界の真実の姿を見抜く悟りの智慧を得ることが、仏道修行の目標なのです。前五波羅蜜は、この般波羅蜜を成就するための手段である。

※布施を行う上での注意事項
布施は我執(自我が実在すると考えて執着すること)を離れるためにするのであるから、損得感情や見返りを求める心を持つとかえって我執を強める結果となり逆効果である。
当たり前のことをやってるのだという平常心で行うことが大事です。

大乗仏教になると仏道の実践は八正道に替わって六波羅蜜になりますが、実は六波羅蜜は不完全です。八正道の正念が無いからです。
禅宗では動中に正念の工夫をせよと教えられ、最終的には正念の相続一貫といって朝起きてから夜寝るまでずっと正念の状態でいることを求められます。
悟りに至るためには正念と禅定が特に大事で、布施・持戒・忍辱・精進は補助的なものです。

無畏施(無財の七施)
眼施(がんせ) :    優しい眼差しで人に接すること。
和顔施(わがんせ) :  柔和な顔、明るい顔で人に接すること。
言辞施(ごんじせ) :  優しい言葉をかけること。
身施(しんせ) :    労働など身をもって布施すること。
心施(しんせ) :    心の底から人を思いやる慈悲心を施すこと。
床座施(しょうざせ) : 譲ること。例えば、電車の中で体の不自由な人に自分の席を譲ることなどや、人に道を譲ること。
房舎施(ぼうじゃせ) : 例えば、困っている旅人に我が家を一夜の宿に提供したり、休憩の場を提供したりすることなど。もてなしの心。

五戒
不殺生戒(ふせっしょうかい) : 生き物をみだりに殺してはならない。
不偸盗戒(ふちゅうとうかい) : 盗みを犯してはならない。
不邪淫戒(ふじゃいんかい) : 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
不妄語戒(ふもうごかい) : 嘘をついてはならない。
不飲酒戒(ふおんじゅかい) : 酒を飲んではならない。
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仏教の基礎知識(初期仏教編)

仏教とは四諦で仏道修行の目的を示し、十二因縁で苦の原因分析をし、八正道の実践で悟りを開き、苦を解決する教えです。

四諦(四聖諦)
苦諦 人生は思い通りにならないので苦である。(四苦八苦)
集諦 その苦の原因は無明に基づいた行動の集積である。(十二因縁)
滅諦 苦の原因である無明を滅した境地が悟りである。
道諦 その悟りに到達する方法が仏道(八正道)である。

四苦八苦
仏教における苦の分類。 苦とは「思うようにならない」ことから生じる。
根本的な苦をの四苦とし、 根本的な四つの苦に加え、以下の四つの苦を合わせて八苦と呼ぶ。
愛別離苦(あいべつりく) 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく)    求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

十二因縁
無明 : 真理を知らないこと
: 行動の集積
: (架空の)自我意識
名色 : 「名」は無形のものという意味で「心」、「色」は有形のものという意味で「身体」
六入(六処) : 眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚器官
: 六つの感覚器官に、それぞれの感受対象(色・声・香・味・触・法)が触れること。
: 感覚を感受すると、好き・嫌いというような感情が起こってきます。
: 渇愛
: 所有欲、執着
: 執着により生じる迷いの存在
: 迷いの世界に生まれること。つまり人として生きていると思い込むことです。
老死 : 「老い」と「死」

無明という誤ったものの見方に基づいた行動が積み重なった結果、自我意識が生まれ、心と身体が生まれ、感覚を感受すると好きや嫌いという感情が生まれ、渇愛や執着が生まれることで、迷いの心が生じ、迷いの世界に生きている人間だと思い込み、年老いて死ぬことになる。しかし、無明という誤ったものの見方に基づいた行動が積み重なって生じた自我意識・心と身体・感情・執着・生死は全て根本が間違っている為に妄想である。つまり苦の根本原因である無明を打ち破れば執着も無くなり、人として生きているという妄想も無くなり、年老いたり死んだりするという妄想も無くなり、全ての苦しみから解放される。

八正道
正見
固定観念にとらわれずに、ありのままに見ること。このありのままは普通の人が思うありのままとは全く異なるもので、修行によって「正念」と「正定」を真剣に実践して三昧の境地に至って初めて可能となる。

正思惟
以下の三つ
無害心:人や生きもの命をまもること。生きとし生けるものに対して慈しみを持つこと。
無瞋恚:怒らないこと。
無貪欲:むさぼらないこと。

正語
正語とは、妄語(嘘)を離れ、綺語(無駄話)を離れ、両舌(仲違いさせる言葉)を離れ、悪口(粗暴な言葉)を離れることである。要するに自己中心的な言動はだめということ。

正業
正思惟(無害心・無瞋恚・無貪欲)の実践

正命
正しい仕事。殺生などに基づく、道徳に反する職業や仕事はせず、正当ななりわいを持って生活を営むこと。

正精進
正しい努力をする。ふつうの努力と違って仏教では自分のいま持っている悪いところを消すための努力。また未だやったことのない悪いことをこれからも絶対にしないための努力、いけないことはこれからもしないという努力、さらには自分の持っているいいところはこれからもどんどん伸ばしていこうとする努力、また今までしなかったいいことをこれからは積極的にやっていこうとする努力、努力にもこうした四つの努力の道があるのです。精進とは、いい人間になるため、より立派な人間形成への努力ということです。

正念
正念の原語はsamma-sati と言って、サティ とは気づくという意味です。何に気がつくのかというと今の自分に気がつくということです。瞬間瞬間の自分に気づくこと。「四念処」の実践。今はやりのマインドフルネスです。

正定
坐禅をして正しい集中力(三昧)を完成することである。この「正定」と「正念」を真剣に実践することで見性体験という悟りの体験に至ります。この体験によってのみ悟りは開けます。悟りが開けると無意識的な思考が作り出した思い込みの世界(迷いの世界)を離れ、ありのままの世界を観ることができるようになり、「正見」が得られる。

四念処
仏教における悟りのための4種の観想法の総称。「四念処観」(しねんじょかん)、「四念住」(しねんじゅう)とも言う。「三十七道品」の中の1つ。
釈尊の初期仏教の時代から、悟りに至るための最も中心的かつ最重要な観想法であり、仏教瞑想の「止観」(サマタ瞑想・ヴィパッサナー瞑想)の内、「観」(ヴィパッサナー瞑想)の中核を成す観想法である。
身念処(体の観察)
受念処(感覚の観察)
心念処(心の観察)
法念処(心の対象の観察)

晴明神社に行ってきました。

堀川の桜

京都の晴明神社に行って来ました。
晴明神社はご存知の通り、陰陽師安倍晴明を祭った神社です。
中学生の頃は毎年秋のお祭りに行ったものです。
小さな神社ですが、近年は映画のおかげで有名になり、フィギュアスケートの羽生選手も訪れたそうです。
画像は神社の前の堀川の桜です。

晴明神社鳥居

鳥居です。

本殿

本殿です。

安倍晴明

安倍晴明の像です。


マインドコントロール

女優の清水富美加さんが出家して宗教団体「幸福の科学」の活動に専念するとして、芸能界引退の意向を明らかにしました。これだけ世間をあっと驚かすことをしても、本人はマインドコントロールだと思っていないことに、マインドコントロールの恐ろしさを感じます。

マインドコントロールというと多くの人は自分は関係ないと思っていますが、実はそうではないのです。99.9%の人はマインドコントロールと似たような状態ですが、そのことには全く気づいていません。それはどういうことかと言うと、仏教では人は生まれながらに仏であると説きます。しかし、私達は生まれてから成長する過程でまわりの人たちから自分が肉体を持った人間という生き物であり、いずれ死ぬ運命にあること教え込まれます。そして、自分を肉体を持った人間であり、いずれ死ぬ運命にあると感じるようになります。この状況がマインドコントロールに似ているのです。人はこの自分の肉体こそが自己であると思い込んでいますが、本当はそうではないのです。真理の世界は唯識といって心だけがあります。心にあらゆるものが映っているのです。つまり、肉体は本当の自己ではなく、この世界の全てが本来の自己なのです。

明けましておめでとうございます。

初詣17
近所の神社に初詣に行ってきました。
家族の健康を祈願し、今年は1日の内50%をマインドフルであろうと誓いました。
最近はインターネットでよくマインドフルネスの記事を見かけるようになりました。とても良い傾向だと喜んでいます。
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