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仏教の基礎知識(禅宗編)

本当の仏教の真髄を継承するのは禅
仏教は大きく分けるとスリランカ・東南アジアの上座部仏教とチベットの密教と中国・日本の大乗仏教に大別されます。
また、日本の仏教も多くの宗派に分かれています。
では、どれが本当の仏教なのか?
その答えは釈尊が悟りを開かれた状況を考えれば解ります。
釈尊は菩提樹の下で七日間の坐禅をして悟りを開かれました。つまり、禅こそが本来の仏教のすがたなのです。

どうして禅では多くの人達が悟りを開くことができるのか?
禅では出家しなくても、つまり在家のままでも多くの人達が悟りを開いています。
どうして禅だけが悟りに至るのか?
その答えは八正道の正念にあります。
大乗仏教の六波羅蜜には正念がありません。民衆に布教するときに、できるだけやさしい仏教にする為に省かれたのです。
しかし、正念の修業を行わないと悟りに至ることは難しいのです。
禅には動中の工夫と呼ばれる正念の修行があるので多くの人達が悟りに至るのです。

禅の歴史
師である般若多羅より嗣法(悟りの境地に至り仏法の正当な継承者として印可を受ける事)し、仏教の第二十八祖となった達磨大師は、西暦520年に禅を伝えるために、インドから中国に布教に行き、嵩山少林寺にて弟子の育成にあたりました。これが禅の始まりです。
その後、臨済義玄(? - 867年)によって臨済宗が創宗された。曹洞宗の「黙照禅」に対して、臨済宗は公案に参究することにより見性(真理を直接体験すること)しようとする「看話禅」(かんなぜん)がその特徴です。つまり、臨済宗は公案によってより効率良く悟りに至ることができる進化した禅なのです。

禅を行っていた有名人
古くは鎌倉幕府の執権北条氏、室町幕府の足利将軍から、茶道の千利休、剣道の柳生宗矩・山岡鉄舟、俳人の松尾芭蕉、小説家の夏目漱石、また最近の人ではアップルのスティーブンジョブスなど一流の人は座禅をしている場合が多いですよ。それだけ禅はすばらしいということです。ちなみに、スティーブンジョブス氏以外は全員が臨済宗です。

禅とマインドフルネス瞑想
Googleが社員の教育プログラムにマインドフルネス瞑想を採用したことで、インテル・フェイスブックなどの企業で採用が相次ぎ、今世界がマインドフルネス瞑想に注目しています。
では、マインドフルネス瞑想と禅の関係は?
マインドフルネス瞑想を開発したのはマサチューセッツ大学のジョン・カバット・ジン教授です。同教授は国際観音禅院の崇山行願に師事し禅の修行を行いました。その後、ケンブリッジ禅センターの創設メンバーとなるなど、かなり本格的に禅の修行をされたようです。
マインドフルネス瞑想はうつ病などの精神疾患の治療に禅をベースにヨガとヴィパッサナー瞑想も取り入れて創り出した瞑想です。つまり、マインドフルネス瞑想は禅などから宗教性を排除して作られた瞑想です。

坐禅
臨済宗と曹洞宗では坐禅に対する考え方が違います。
臨済宗では悟りを開くために坐禅をします。初めは数息観という呼吸を数える坐禅を行い、ある程度上達すると公案禅に移行します。
曹洞宗では坐禅することが悟りだから、ただ坐りなさいと言います。坐禅は随息観という、ただ呼吸を観る坐禅を行います。

坐禅の効果
坐禅にはいろいろな効果があります。
①ストレスが減り、免疫力が上がる
②集中力が高まる
③動じない心を養成する
など多くの効果がありますが、坐禅はそういった効果を目指すのではなく、ただ坐ることが大事だそうです。

作務
禅宗では作務(さむ)をとても重視します。作務とは掃除のことです。でも、ただの掃除ではありません。坐禅をしている時と同じ心で行う動く瞑想です。
禅宗では動中の工夫といって、1日中を坐禅をしている時と同じように呼吸に意識を向け、雑念を払い、今していることに集中します。

公案
臨済宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。「禅問答」のことです。
有名な公案として「隻手の声」「狗子仏性」などがあります。
「隻手の声」
(両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それを報告しなさい)
「狗子仏性」
(犬にも仏性があるでしょうか? 趙州和尚は答えた。「無」)
普通問題に取組む場合は回答者(主体)が問題(客体)に取組みます。しかし、禅の公案では主体と客体の分離を解消して一如の世界(悟りの世界)に至ることが目的なので、公案に成り切れと教えられます。そして、公案に成り切ることができたときに悟りが開けます。

三昧
坐禅において精神集中が極まり、自我意識・価値判断・固定観念・思考などが停止した状態のこと。
なぜ三昧の体験が必要なのか?
それは、私達は自我意識・価値判断・固定観念・思考などが作り出した思い込みの世界に生きていて、ありのままの真理の世界を見ることができないからです。

不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏
禅とは何か? その答えは「不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏」である。
意味は経典の中に真理は無く、仏法の真髄は師から弟子へと以心伝心で受け継がれるものだ。だから、自己の本性を究明すべく、ひたすら坐禅することによって真理を直接体験し、悟りに至るのが禅である。
釈尊は経典を学べば仏法が解ると誤解されるのを恐れて、釈尊自身は経典を執筆されませんでした。
要するに経典をいくら読んで勉強しても悟りに至る事は無いから、坐禅をして三昧の境地に至り、真理を直接体験(見性体験)することが重要であり、これ以外に悟りに至る方法は無いということです。

照顧却下
禅寺の玄関には「照顧却下」と書いた札が掲げてあることが多い。この言葉には二つの意味があって、一つ目は「履物を脱いだら揃えなさい」という意味です。そして、もう一つの意味は「自己の本性を悟るために自分自身をよく見なさい」という意味です。
「自分自身をよく見なさい」と言われても、どう見ればよいのか途方に暮れますよね。そこで、ヒントを探すと、臨済宗の開祖である臨済禅師は「赤肉団上に一無位の真人あり、常に汝ら諸人の面門より出入す」という有名な言葉を残されました。この言葉は自己の本性を悟るためのヒントです。
私達は誰でも、「私」が花を見たり、月を眺めたり、鳥の声を聞いたり、あるいは氷を冷たいと感じたりしていると思っています。しかし、本当はそうではないのです。
「私」という肉体を持った人間が花を見たり月を眺めたりするのではないということです。むしろ逆で、花や月を見ることによって自己が形成されるのです。例えば、今朝は寒いなあと思ったとき、寒いと感じる「本来の自己」ができる。そのように「本来の自己」は、一瞬、一瞬、違った内容として生き続けている。決して「私」というような確固として不動な実体はない。「本来の自己」は「存在」ではなくて「生成」であり、いつも現在進行形なのです。

坐禅会情報
禅は坐禅の実践が大事ですから、坐禅会情報を載せておきます。
http://zen468.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
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